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森喜朗の息子や家系図&家族構成は?失言はいつから?過去の発言をまとめてみた!!

2021年2月12日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長辞任を表明した森喜朗氏。

辞任とは言っても、自身の女性蔑視の発言が問題となり、国内のみならず世界中から大非難を受けて、事実上は世の名の声に引きずり降ろされた形となりました。

しかも森喜朗氏の失言は今回が初めてではありません。
過去にもとんでもない発言をして世の中を騒がせてきたようなのです。

失言を繰り返しても、政界で地位を築き、内閣総理大臣まで務めた森喜朗氏とはどんな人なのでしょうか?

プロフィールや家族構成、家系図などから、森喜朗氏を探っていきたいと思います。

また、過去の失言もまとめてみましたので紹介しますね。

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森喜朗のプロフィール

失言を繰り返しても、森喜朗氏は政界でずっと高い地位をキープしてきました。

いったいどんな経歴なのでしょう? まずはプロフィールを紹介しますね。

名前:森喜朗(もり  よしろう)
生年月日:1937年7月14日
年齢:83歳
身長:175cm / 体重:85kg
出身地:石川県能美市
出身校:早稲田大学第二商学部
前職:産経新聞、日本興業新聞、国会議員秘書、政治家(第85・86代内閣総理大臣)
現職:東京オリンピック・パラリンンピック競技大会組織委員会会長(辞任を表明)、日本ラグビーフットボール協会名誉会長
 

森喜朗氏は早稲田大学時代ラグビー部に所属していたのですが病気のため退部し、その後は雄弁会に入会して政治家を志すようになりました。

早稲田大学卒業後は、産経新聞に入社し、配属先であった日本工業新聞に後に移籍し、記者として1面トップ記事を書いたり社長賞をもらうなど、活躍していたそうです。

その後、政治家を志ざしていた森喜朗氏は、衆議院議員秘書を務めたあと、1969年に衆議院選挙に石川県から立候補し、見事、当選を果たすのです。

当選後は、文部大臣、自民党政調会長、通商産業大臣、自民党幹事長、建設大臣と、重職を次々と歴任し、2000年4月5日、3日前に脳梗塞で倒れ緊急入院した小渕恵三首相の後を継ぐ形で内閣総理大臣に就任したのでした

そしてこの頃から、公の場で失言が取り上げられるようになっていたのです。

内閣総理大臣時代には、「失言」が流行語大賞にノミネートされたこともあるとか。

そして、約1年後の2001年4月26日に内閣総理大臣を退任しました。在任期間はとても短かったのですね。

現在、辞任を表明した東京オリンピック・パラリンンピック競技大会組織委員会会長には、2014年1月14日に就任しています。

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森喜朗の家系図・家族構成

森喜朗の家系図

森喜朗氏の家族は、妻と娘・息子の4人家族です。

娘さんは結婚されていて、現在、お孫さんが1人いるそうです。

また、息子さんは既に他界されています。

家系図にすると、このようになります。

森喜朗の妻

森喜朗氏の奥様は、「森 知恵子(もり ちえこ)」さん(旧姓:牧 千恵子さん)です。

お二人は早稲田大学時代に出会っていて、森喜朗氏が卒業した翌年の1961年11月に結婚しています。

ずいぶんお若いうちに結婚されたのですね。

お二人は現在でもかなりラブラブというウワサです。

千恵子さんは「夫のために死ねるわ」と発言されたことがあるそうです。

また、森喜朗氏も1日1回は用事が無くても千恵子さんに電話をかけるとのこと。

結婚して60年近いお二人ですが、夫婦円満のようですね。

森喜朗の娘と義理の息子

森喜朗氏の長女「陽子(ようこ)」さんは、青山学院大学に入学し、卒業後は「三井物産」に勤務しましたが、結婚を機に退職されたそうです。

結婚相手は青山学院大学の同級生の「藤本真佐(ふじもと しんすけ)」さんで、学生時代からの恋愛を実らせて、1994年12月に結婚されました。

森喜朗氏は既に政治家で大臣も務めていましたから、娘にお見合い結婚をさせるという選択肢もあったのでしょうが、娘の恋愛結婚には反対しなかったそうですよ。

ご自身も、奥様の千恵子さんと学生時代からの恋愛を実らせての結婚されてますから、娘さんの結婚も快く認められたのではないでしょうか?

また、義理の息子の藤本真佐さんは経営者としてかなりやり手で、学生時代からマーケティング会社を起業したそうです。

その後も、Web総合インテグレーション会社アイ・エム・ジェイを創業、ツタヤオンラインを創業、デジタルハリウッドCEO就任、株式会社Platform ID 取締役就任、と実業家として輝かしい成功を収めてきました。

ところが、2019年癌のため舌と喉頭を全摘出し、第3級身体障害者となってしまったそうです。

それでも、実業家として仕事をする傍ら無農薬・無化学肥料による農業開始するなど、精力的に活動されているようです。

森喜朗の息子

森喜朗の長男「森 祐喜(もり ゆうき)」さんは、1964年10月15日生まれ。

東京都町田市の玉川学園高等部卒業後、東海大学を中退し、アメリカのジョージタウン大学の英語学校EFLプログラムを受講。

日本に帰国して父の森喜朗氏の秘書として活動した後、石川県会議員に就任し、父の背中を追うように政治家の道を進み始めました。

ところが、2010年8月に飲酒運転により事故で逮捕されるという不祥事を起こし、責任をとって石川県会議員を辞職することとなったのです。

そして2011年7月25日に、急性膵炎による多臓器不全で亡くなられてしまったのです。46歳でした。

父の森喜朗氏は「今は静かに逝かせてやりたい」と家族だけで密葬したそうです。

・・・ところが、この長男「祐喜」さんには、いろいろな黒いうわさがあるのです。

2009年に麻薬取締法違反により逮捕された押尾学さんの事件に関わっていたのではないかとの話なのです。

この事件は、押尾学さんと一緒に麻薬を使用したホステスが全裸で死亡するなど衝撃的な内容でしたね。

ウワサによると、実は複数の人物がこの事件に関係していたが、押尾学さんひとりに罪をなすりつけたのではないか。その関係者の中に、森祐喜さんも含まれていたのではないか。とのことなのです。

真相は明らかではありませんが、そんな黒いウワサが流れていたようですね。

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森喜朗の失言をまとめてみた!

今回の森喜朗氏の失言は大騒動になってしまいましたね。

森喜朗氏は東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長の前には、内閣総理大臣を務めた方ですよね。
そんな要職についていた人とは思えないほど、過去から何度もあきれるような失言を繰り返しています。

そんな失言をまとめてみましたので紹介しますね。

『そういえばこんなこと言っちゃってたな~』って思いだす発言がいっぱいですよ。

森喜朗 東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長時代の失言

『女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困る』
『女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。』
(2021年2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で発言)

森喜朗氏が東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長辞任のきっかけとなった発言です。

「女性蔑視」として、SNSなどで世論が大炎上。世界からも大批判を受けていますね。

ニューヨークタイムズやワシントン・ポスト、ロイター通信など海外のメディアが痛烈に批判し、ヨーロッパ各国の駐日大使館や、トヨタ自動車・JR東日本などの東京オリンピックスポンサーからも遺憾と非難のコメントが発表されました。

その結果、東京オリンピックについては、500人以上のボランティア辞退という動きが広がってしまいました。

(東京オリンピック聖火ランナーについて密集対策の一環として)『有名人は田んぼを走ったらいいんじゃないか』
(2021年2月2日、東京大会実施本部合同会議の役員幹部会で発言)

この発言をうけて、タレントの田村淳さん(ロンドンブーツ1号2号)は聖火ランナーを辞退すると発表しました。

『国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない』
(2016年7月、リオデジャネイロオリンピック団結式で発言)
(ソチオリンピックで浅田真央さんが転倒したことに関して)『見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ』
(2014年2月20日、福岡市内の講演で発言)
 こんな心無い発言に対して、浅田真央さんはオリンピック終了後の帰国時のインタビューで、「私は別に今なんとも思っていないですけど、たぶん(森さんが)ああいう発言をしてしまったことについて森さんは今少し後悔をしているのではないかなというふうに、少しは思っています。」と、冷静で大人な発言をしています。
『子どもを一人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃなんだけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって・・・税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ』
(2003年6月26日、全国私立幼稚園連合会の討論会で発言)

森喜朗 内閣総理大臣就任時代の失言

(投票率が下がれば与党有利になるため、無党派層に対して)『関心がないといって、寝てしまってくれればいい』
(2000年6月、新潟市内の講演で発言)
『日本の国、まさに天皇を中心としている神の国』
(2000年5月、神道政治連盟国会議員懇談会の演説で発言)
(「IT(アイティー)革命」の読み方を知らずに)『イット革命』
(2000年4月、IT戦略会議で発言)
日本の首相としてあるまじき発言や、そんなことも知らないの!?っていう驚きの発言がありますね。どれも苦笑いです(^^;)

森喜朗 首相就任前の失言

(大阪の人の人間性について)『言葉は悪いが、大阪はたんつぼだ』
(1988年4月、京都市内の懇談会で発言)

この発言には、さすがに森喜朗氏の奥様も「たとえが適切じゃないですよ」とたしなめたそうです。

(当選の見込みが極めて薄い選挙運動の際)『選挙運動で行くと農家の皆さんが家の中に入っちゃうんです。なんかエイズが来たように思われて…』
(2000年1月13日、敦賀市の講演で発言)

要職についている方の発言としては、後先を考えていないもの=まさに『失言』と言わざる得ないものばかりですね。

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